佐賀県鳥栖市の観光イベント案内

史跡 勝尾城筑紫氏遺跡映像

 

史跡 勝尾城筑紫氏遺跡

 
鳥栖市の北西部の牛原町、山浦町、河内町にまたがる城山(じょうやま)山麓一帯に 戦国時代後期(約四百~五百年前)に鳥栖地方を本拠として 東肥前(佐賀県東部)や筑前、筑後にかけて勢力を奮った筑紫氏の勝尾城筑紫氏遺跡があります。 勝尾城を中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように 鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう) 鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとり)、東出城(ひがしでじろ)の六つの支城 さらに館跡からはじまる谷間には家臣の屋敷跡、寺社跡、町屋跡や土塁、空堀等の 城下跡が良好な状態で残されています。 その規模は東西約二㎞半、南北約二㎞に及びます。

勝尾城がいつ築城されたかは同時代の史料では不明です。 後世に編纂された『北肥戦誌』によると、応永三十年(一四二三) 九州探題渋川義俊の築城と伝えられ、渋川氏が少弐氏との抗争過程において 渋川氏によって築城されたようです。 その後、少弐氏が東肥前を手中に占めて、勝尾城に入城しますが 周防の大内氏と抗争において少弐氏の有力な家臣であった 筑紫氏が大内方に属し、明応六年(一四九七) 筑紫満門が少弐氏を追い勝尾城に入城します。