
鳥栖市市制施行70周年記念事業
勝尾城筑紫氏遺跡見学会
鳥栖市の北西部には、勝尾城を中心とした山城跡が広がっています。今回の見学会では、葛籠城の見学に加え、鳥栖市制70周年を記念して豊後大友宗麟鉄砲隊による火縄銃の演武も予定しています。詳細は見学会ホームページでご確認ください。ぜひご参加ください。
見学会ホームページ https://www.city.tosu.lg.jp/soshiki/26/48630.html

日 時 | 令和6年11月24日(日) |
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会 場 | 四阿屋神社前駐車場(牛原町) |
お申し込み | 申込制定員40名 |
スケジュール | 10:00 葛籠城見学出発 |
問い合わせ・申込み | 勝尾城筑紫氏遺跡見学会実行委員会 |
史跡 勝尾城筑紫氏遺跡
鳥栖市の北西部の牛原町、山浦町、河内町にまたがる城山(じょうやま)山麓一帯に 戦国時代後期(約四百~五百年前)に鳥栖地方を本拠として 東肥前(佐賀県東部)や筑前、筑後にかけて勢力を奮った筑紫氏の勝尾城筑紫氏遺跡があります。 勝尾城を中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように 鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう) 鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとり)、東出城(ひがしでじろ)の六つの支城 さらに館跡からはじまる谷間には家臣の屋敷跡、寺社跡、町屋跡や土塁、空堀等の 城下跡が良好な状態で残されています。 その規模は東西約二㎞半、南北約二㎞に及びます。
勝尾城がいつ築城されたかは同時代の史料では不明です。 後世に編纂された『北肥戦誌』によると、応永三十年(一四二三) 九州探題渋川義俊の築城と伝えられ、渋川氏が少弐氏との抗争過程において 渋川氏によって築城されたようです。 その後、少弐氏が東肥前を手中に占めて、勝尾城に入城しますが 周防の大内氏と抗争において少弐氏の有力な家臣であった 筑紫氏が大内方に属し、明応六年(一四九七) 筑紫満門が少弐氏を追い勝尾城に入城します。

勝尾城がいつ築城されたかは同時代の史料では不明です。 後世に編纂された『北肥戦誌』によると、応永三十年(一四二三) 九州探題渋川義俊の築城と伝えられ、渋川氏が少弐氏との抗争過程において 渋川氏によって築城されたようです。 その後、少弐氏が東肥前を手中に占めて、勝尾城に入城しますが 周防の大内氏と抗争において少弐氏の有力な家臣であった 筑紫氏が大内方に属し、明応六年(一四九七) 筑紫満門が少弐氏を追い勝尾城に入城します。