勝尾城筑紫氏遺跡国指定史跡20周年記
「勝尾城筑紫氏遺跡と九州の戦国城郭」
勝尾城筑紫氏遺跡は、戦国時代後期に有力国人領主である筑紫氏が本拠地とした勝尾城(城山498m)と山麓の谷筋を中心に広がる城館群と城下町跡です。
平成18年(2006)1月26日に国指定史跡となり、令和8年1月に国指定20周年を迎えます。これを記念して、講演会を開催します。
また、これまでに発掘された出土品や解説パネルの展示も行います。
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13時00分
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開場
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13時30分
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開会
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13時35分~14時05分
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「勝尾城筑紫氏遺跡の発掘調査成果」
内野 武史(鳥栖市教育委員会)
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14時20分~15時50分
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「勝尾城筑紫氏遺跡と九州の戦国城郭」
岡寺 良(立命館大学文学部教授)
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16時00分
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閉会
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| 日 時 | 令和8年1月18日(日曜日)13時30分~16時(13時開場) |
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| 会 場 | サンメッセ鳥栖3階大会議室 |
| お問合せ・申し込み先 | 定員150名 |
史跡 勝尾城筑紫氏遺跡
鳥栖市の北西部の牛原町、山浦町、河内町にまたがる城山(じょうやま)山麓一帯に 戦国時代後期(約四百~五百年前)に鳥栖地方を本拠として 東肥前(佐賀県東部)や筑前、筑後にかけて勢力を奮った筑紫氏の勝尾城筑紫氏遺跡があります。 勝尾城を中心に麓の館跡をはじめ、谷をぐるりと取り囲むように 鬼ヶ城(おにがじょう)、高取城(たかとりじょう)、葛籠城(つづらじょう) 鏡城(かがみじょう)、若山砦(わかやまとり)、東出城(ひがしでじろ)の六つの支城 さらに館跡からはじまる谷間には家臣の屋敷跡、寺社跡、町屋跡や土塁、空堀等の 城下跡が良好な状態で残されています。 その規模は東西約二㎞半、南北約二㎞に及びます。
勝尾城がいつ築城されたかは同時代の史料では不明です。 後世に編纂された『北肥戦誌』によると、応永三十年(一四二三) 九州探題渋川義俊の築城と伝えられ、渋川氏が少弐氏との抗争過程において 渋川氏によって築城されたようです。 その後、少弐氏が東肥前を手中に占めて、勝尾城に入城しますが 周防の大内氏と抗争において少弐氏の有力な家臣であった 筑紫氏が大内方に属し、明応六年(一四九七) 筑紫満門が少弐氏を追い勝尾城に入城します。
勝尾城がいつ築城されたかは同時代の史料では不明です。 後世に編纂された『北肥戦誌』によると、応永三十年(一四二三) 九州探題渋川義俊の築城と伝えられ、渋川氏が少弐氏との抗争過程において 渋川氏によって築城されたようです。 その後、少弐氏が東肥前を手中に占めて、勝尾城に入城しますが 周防の大内氏と抗争において少弐氏の有力な家臣であった 筑紫氏が大内方に属し、明応六年(一四九七) 筑紫満門が少弐氏を追い勝尾城に入城します。